丈橋

丈橋の"軌跡"と"奇跡"

藤原丈一郎

大学3回生までは就職しようとおもってたんですよ。企業の説明会みたいなのもいって、そのときに「何したい?」って会社のひとに言われて、「喋りたいです」って言って、「営業?」って言われたんですけど、営業ではない。たくさんのお客さんの前で喋ったりするのが一番活き活きとするので、こっちの仕事なんやなって。天職でもあり、怖いし、人生を賭けるようなもんやから。ギャンブル中のギャンブルやなって話を大学生組はごはん時はそんな話しかしてないです。

https://fod.fujitv.co.jp/title/3370/3370110019/

(RIDEONTIME 2019/2/15)

 

ジャニーズには半ばあきらめの気持ちを持ちながら、大学に進学。その後、就職用の会社説明会にも参加した。その心境は自然とファンにも伝わっていたらしい。「みんな“続けて”じゃなく“続けてほしい”って書くんです。強制はしないけど…って。その優しさに触れ、また迷いました。やっぱどこかで続けたい気持ちがあったから」

揺れ動く気持ちが固まったのは、大学3回生の終わり。外部舞台を経て芝居の楽しさをかみしめ、主演ミュージカルの話も舞い込んでいた。そのなかで教授に「これで最後や。どうする?」と問われ、口から出た答えは「もう、ジャニーズでいきます」

「前に出れないときって、誰もが思うじゃないですか“あいつより努力してるのに”って。俺もそうやってんです。でも実際、選ばれる人は、そういう運をちゃんと自分で引き寄せてつかんでる。“お前はこれまでそのチャンスをつかめてたか?”って聞かれたら即答できひんなって。

最後に「いっぱい悔しかったからこそ、それが土台になって今も上れるんです。」

そう言い切って笑った。

ザテレビジョン 2019/10/23)

 

ファンのみんなへ。24時間365日なにわ男子のこと考えていて欲しいし、僕らも同じくらいなにふぁむのことを考えてる。ずっと相思相愛でいたいね。

アイドルとしてのポリシーは、ファンを笑顔にする。僕らが配信した映像をみて、“元気が出た”って言ってもらえて、この気持ちがさらに強くなった。

ザテレビジョン 2020/10)

 

中学生の頃には、新しい子がいきなりバンって最前列に躍り出ているのを傍からみている自分にもだんだん慣れてきちゃってた。“あー、またか”って。高校生のあたりからはもう諦めかけてました。でも、辞めるに辞めれなかった。ずっと続けてきたものを辞めるって怖いんですよね。急に目隠しされる気分で。前にも後ろにもいかれへん状況。そんな時に、中山優馬のソロツアーのバックのオーディションがあったんです。屋良くんが主にダンススキルで選んでくれたんですけど、それでもう一回目標ができたような気がしました。そのツアーをきっかけに、リチャや龍太くんと漫才やネタをいろんなところでやってたら、事務所の上の人が見てくれてたんです。うれしいことに、横山君も周りの人にちょこちょこ紹介してくださって。頑張ってれば誰かが見てくれてるんやなって、そこですごく励まされました。

前に誰もいない景色を見られたのは束の間で、また後列の風景に戻るのは、そのときは結構しんどかったですね。

就職の2文字もそろそろ頭をよぎります。髪を黒くして、大学のキャリアセンターにも行くようになりました。そりゃ本音はジャニーズ1本に懸けたいけど、とても保険なしでそれに絞ることはできなくて。あの頃、家の中の空気もきつかったな…。無言でスーツだけが置かれるんですよ。オカンも複雑な気持ちやったと思う。

リューンは僕らにとって本当に大きな経験で。自信もつけさせてもらえたし、ほんまに「ここから俺らがいくぞ!」という気持ちに火が点いたんです。

僕に関しては、まだ1回目の守備。まだ攻撃にも入ってない。相手のいろんな選手のヒットやホームランを何球見送ってきたことか…。もう見送る景色はいい、そろそろホームラン打ちたいです。頭上を越えてくやつじゃなく、自分のホームランを。

日経エンタテインメント 2021/2)

 

僕らの職業って夢を語ったらそれがファンの人との約束になっていくじゃないですか。だからしっかり有言実行できるようになりたい。

(SPUR 2021/8)

 

なにふぁむへ

なにふぁむが叶えたいたくさんのことも、僕らはそれ以上のものにして叶えるんで、楽しみにしててください。

ザテレビジョン 2021/11)

 

1日1日、「明日デビューするんや」って気持ちでやっていました。ただ、年が明けてから僕は、少し自分たちの活動に不安を感じる部分があって。というのも、2021年の前半はグループの活動が少なかったんです。1月の関西ジャニーズJr.で配信ライブをやらせてもらいましたけど、その後はみっちーが舞台、大吾がドラマ、僕は長尾と舞台。他のメンバーも個人仕事でした。それが終わると僕は、中井貴一さんの舞台に。この舞台で自分の実力のなさを突き付けられて頭の中がぐっちゃぐちゃになって。本当にあの時はパンクしそうやった。しかも、結局公演は中止になってしまって、本番をむかえられないまま、この経験をグループに還元できるんやろかって不安になっていました。2020年の夏はグループみんなで1つの山を乗り越えたことで、団結力が生まれたんです。それが21年に個々での活動が増えるなか、また7人で集まって、“このグループに人生かけるぞ!”みたいな意思が固められるか不安でした。

日経エンタテインメント 2022/2)

 

大学の関係で、昼公演は出られても、夜公演はでられないことがあって。そうなると並びがいつもより外になる。当然ですよね。いない場合に外のほうが対応しやすいわけですから。ただ、当時は焦ってたんで“学業とJr.、両立しろって言ったのに!”って不満を募らせて。反抗期ってのもあったな。髪を真っ金にしたりトンガってましたね。晩御飯のとき、一回だけオカンに“どうすんの?”って聞かれたことがありましたね。“今のところはつづけよかな”って曖昧に答えたら、“ふーん”って。オトンは“丈の好きにしたらいい”って。オカンはリクルートスーツとアイロンをかけたワイシャツを黙っていつも用意してくれてたんで、やっぱ就職したほうが安心だよなって思ったり。それが、家にオレがいるタイミングで、何かを探してオカンのタンスの引き出しを開けたら、見たことな箱が出てきたんです。開けてみたら、オレが今まで出たアイドル雑誌の切り抜きをしたファイルで。ジャニーズショップで買ったオレの写真、それも1枚だけじゃなくて何枚も入ってた。オカン、応援してくれてるんやなって。なにわ男子になって、MCをする機会が増えましたが、じつはしたことなかったんです。長くいるからできるでしょってイメージでしかない。最初、当然できるって期待されるのがしんどかったです。僕のファンも最初は戸惑ったと思う。それまで漫才やったり、お笑いに重心を置いてたのが、グループで最初にもらった曲がアイドルど真ん中の“なにわLuckyboy!!”でしたからね。“丈、似合ってへん”って声も聞こえてきたし、自分自身も似合ってるとは思えない。それをなんとか自分を騙し騙し、“これからはこういう路線なんや”って言い聞かせてました。

(Myojo 2022/10)

 

Dearなにふぁむ

いつも愛を届けてくれてありがとう。俺たちは

もらった倍以上の愛を届けることを誓うので、これからも受け取ってください。

(なにわ男子カレンダー 2023.4-2024-3)